なぜ、労働しなくてもいい世の中を目指しているのか?

「なぜ、労働しなくてもいい世の中を目指しているのか?」と聞かれた場合、その意図は主に以下の3パターンに分かれると思います。
①動機となった実体験について聞いている
②社会的な意味について聞いている
③ビジネスとしてなぜ目指すのか聞いている
それぞれについて説明していきます。


① 動機となった実体験について

私は労働に適応するのに非常に苦労してきました。
まず、中学生の時に、自分が労働に向いていないことを痛感する出来事がありました。
入学して半年で入った生徒会で、全く使い物にならなかったのです。
空気を読んで動けない。指示を受けないと動かない。
だから生徒会内部で「役立たず」「使えない奴」「将来働けない奴」と罵倒されるようになりました。
それをきっかけに素行が悪くなり、深夜に家を抜け出して遊ぶようになり、授業中は寝てばかりいるようになりました。
そして、睡眠に問題を抱えるようになりました。
高校へ進学しても、それは変わりませんでした。
深夜に出かけることはなくなりましたが、夜には眠れず、授業中には寝てばかりいました。
そんな調子なので、半年ほどで高校へは行かなくなり、1年も経たないうちに中退しました。
それからは、アルバイトをしながら独学で大学を目指すと宣言するも、大検取得後は勉強が続かなくなり挫折→18歳になり専門学校へ通うために上京するも、また中退→職を転々とする人生を過ごしました。
最終的には、約10年間生活保護を受けながら就労支援施設に通うことになりました。
毎日同じような時間に寝起きするという当たり前のことが、どうしてもできなかったからです。
その後、突如として、睡眠の問題が緩解し、再就職して現在に至ります。
ですが、相変わらず労働は嫌いですし、苦手なままです。
このような人生を通して、私は私以外にも労働が苦手そうな人を沢山見てきました。
だからこそ、思うのです。
「なぜ労働のために、こんなに苦しい思いをしなくてはいけないのか」
「労働に向いていない人は確実にいる。そのような人も労働中心の生き方を強制され、労働によって評価されるのは悲し過ぎないか」と。
このような経験が「労働しなくてもいい社会」を目指す動機のひとつとなっています。


②社会的な意味について

「労働しなくてもいい世の中」を目指すことは、様々な社会問題の解決に繋がると考えています。
例えば、少子高齢化・人口減少による労働力不足。
これの最大の原因は、社会が必要な労働を減らす方向にシフトするのが遅かったからだと考えています。
人口が増え続け、労働力も増え続ける前提で社会は設計されていたし、現在も多かれ少なかれそのような前提で運営されています。
だから、労働力が不足しているのだと思います。
早めに必要な労働を減らす方向にシフトしていたなら、このようにはならなかったはずです。
テクノロジーの進歩により、生産性は500年前の50倍から200倍程度、エネルギー効率に関しては50倍から1000倍近くになったと言われています。
必要な食料を生産したり、インフラを維持するだけなら、それほど労働力は必要ないはずです。
だけどそれでも、集団間の競争においては、労働力を増やす必要があると思われていたのでしょう。
少し前の時代までは、労働力と生産力は同じようなものだったからです。
でも、現在は違います。
教育コストの低下とオートメーションやAIが普及し始めたことによって、労働力で生産力が決まる時代は既に終わりを迎えていると思います。
生産力は創造力によって決まる時代になってきていると思います。
そのような時代だからこそ、「労働しなくてもいい世の中」を目指せると考えています。
必ずしも労働しなくてもよくなれば、人々は学習や議論に時間をかけられるようになり、創造性を発揮できるようになります。
それは社会全体の経済成長に繋がると思います。
大切な人と過ごす時間や自分らしくいられる時間も増えます。
それは人生の満足度を大きく上げるでしょう。
ですが、そのような社会は、目指さなければ実現することはありません。
なぜなら、現在の圧倒的大多数の人は労働が減ると困るものだと考えているからです。
そして、必要とされる限り、労働はいくらでも新しく生み出せるものなので、減らそうとしなければ減りません。
だからこそ、意図的に「労働しなくてもいい世の中」を目指す必要があると考えています。


③ビジネスとしてなぜ目指すのか

現在の社会は、お金さえあれば、ほとんどの欲望に対応できるほど便利・快適になり、ビジネスは飽和状態にあると思います。
そのような中で、既に社会の中で良いこととされている理念を掲げ、類似のビジネスから少しだけ差別化した商品を提供したところで、それは満員電車の中で座席争いをするようなものです。
運の要素が大きく、厳しい戦いを強いられるわりに、得られるものは多くないと思います。
それよりは、まだ社会で良いこととされていない、誰も掲げていない理念を掲げ、その理念達成のために商品を提供したほうが、ビジネスを大きくするチャンスがあると考えています。
例えば、初期のテスラやパタゴニア、ザ・ボディショップ、フェアフォンなどは、そのような要因で成長できたと思います。

なぜ、純朴な社会運動としてではなく、ビジネスとしてやろうとしているかというと、理念や共感だけでは、社会は変わらないと思うからです。
社会が変わる原点は、理念や共感かもしれません。
ですが、社会が実質的に変わり始める時は、実利的な損得関係や序列の変化が予期される時だと思っています。
どんなに世界にとって良いことだとしても、それを選んだことによって自分の生活が圧迫されるのなら、それは選択されません。
自分や自分達のためになりそうな場合にのみ、他人のためにもなりそうなことが選択されるのです。
損得関係の変化や序列の変化。それが起こるのではないかという感覚。
それを効率的に生み出せるのはビジネスだと考えています。